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曲論きょくろんに注意を!

面識がなくとも、みなさんのこと、ラオデギヤ教会のこと、またそちらにいるその他のみなさんのことを私はとても心に思い、心配している。そのことをぜひ知っていてほしい! 私は全てのみなさんが励まされ、愛の中でお互いに繋がり合ってほしいと思っているのだ。神を理解することで得られる自信が、あなた達にあふれるようにと私は願っている。私の思いは、ついに明らかにされた神の計画を完全にあなた達に理解してほしいということだ。その計画とは救い主キリスト、その方のこと。 人が探し求める知恵と知識の答えは、イエスにこそある!そう!まさにイエスは知恵であり、知識の宝庫ほうこなのだ。

こう言うのは、最もらしく曲論きょくろんを言う者にだまされてほしくないからなのだ。 たとえ物理的に遠く離れていても、私の心はみなさんと共にある!みなさんの団結力とイエスに対する固い確信を本当に誇らしく思っている!

イエスのみを土台石に

あなた達は自分の意志でイエス・キリストを王として受け入れた。だから、何があろうと今までどおり彼に従っていくのだ! イエスを土台石にしなければならない。つまりイエス中心の人生を描き、イエスをあらゆる力のみなもとにするのだ。神への感謝がまぬよう、教わったとおりに本物の信仰の理解を持ちあわせ、強くたくましく成長していくのだ。

あなたをだますような、何の意味も持たせないそんな教えに心を奪われないようにしなさい。こういった教えは、ただ人間の伝統的なものであって、人々の人生を支配する悪の力から来ているものだ。そんな教えは絶対に救い主キリストから来ていない。 こう言うのも、神のすべてがイエスの内に備えられているからだ! 10 そしてイエスに属するがゆえに、あなた達は必要なすべてを手にしている!どんな権利や力もイエスの下にあるからだ。

11 あなた達がイエスに繋がった時、あなた達は違った割礼かつれいを受けたのだ。それは人間の手で行われた手法ではない。それはイエスの死によって行われた割礼かつれいなのだ。肉の体の性質が取り除かれるそのような割礼かつれいだ。——【割礼とは、包茎手術のことで男性性器の皮の一部を切り取ること】 12 また洗礼を受けた時、あなた達は神の力の中にある信仰によって、イエスと共に自己中心的な性質がほうむられ、イエスと共に生き返った!それもこれも、神がイエスを死からよみがえらせてくれたからだ。

13 あなた達は霊的に死んでいた。自己中な性質を断ち切れないがために、神に繋がっていなかったのだ。しかし、神はイエスと共にあなた達に新たないのちを与えてくれた。そう!私たちの過ちを完全にゆるしてくれたのだ。 14 私たち人間は、神のおきてを破って負債を負った。私たちには、おきてを踏む外したその負債のリストが記録されてあった。しかし、神が私たちの負債をゆるし、肩代わりしてくれたのだ。そう!罪状ざいじょう罰則ばっそくが記された記録書を十字架に釘づけにし、それを全て帳消しにしてくれたのだ! 15 イエスはその十字架でこの世の霊的な闇の支配者、権力者から力を取り上げ、大勝利を飾ったのだ!そして、このことが世界中に知れ渡るようにと、イエスはこの世の支配者たちを囚人しゅうじんとしておおやけにさらしたのだ。

かしらのみに従う

16 だからこそ、あなた達が何を食べようが、何を飲もうが、またユダヤ人の習慣(聖なる日の儀式、新月祭や安息日の儀式など)に従わまいが、そのことについて人にとやかく言われないようにしなさい。 17 以前はこれらの習慣や行事は、来るべき人の影であった。しかし今では、それが「イエス」であることが分かり、現実となったのだ。 18 ある者は他人が好んでしない事をあえてすることで、自分自身の謙遜けんそんさをあらわしている者もいる。そして彼らは天使たちと一緒に賛美をしているのだと主張し、天使たちが賛美している姿をビジョンで見たんだと話すのだ。しかし!そんな彼らの声を聞いてはいけない!彼らと同じようなことをしていないあなた達は間違っていると彼らは主張するだろう。彼らの持っているその様なプライドは、まったく馬鹿げている!彼らはただただ自分の人間的な経験に優越感を感じているだけなのだ! 19 彼らはかしらと繋がっていない者たちだ。かしら救い主キリストであり、私たちはその体だ。体はかしらと繋がり続けなければならない。そして救い主キリストのおかげで各部位がケアし合い、助け合い、神の計らいで体は丈夫に成長するのだ。

20 あなた達は救い主キリストと共に死に、人々の人生を縛り上げていた規則の力から解かれた自由人となったのに、なぜ未だにこの世の価値観を持ち続け、彼らの規則に従っているのか? 21 「これは食べちゃいかん!味わっちゃだめだ!おぉ~これは触っても駄目だ!」と・・・ 22 それらはいつか無くなるこの世のものだ。すなわち人間が作った規則であり、しきたりに過ぎない。 23 自らを罰し、厳しい修行を行う、この様な宗教的規則に生きることこそ、謙遜けんそんさや禁欲の極意を悟らせるかのように見えるかもしれない。しかし、この様はものは、人の弱みや欲望を防ぐ助けに、一切役立っていないのが現実だ。