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10 教会かぞくのみんな!私の一番の願いは、ユダヤ人全員が救われることだ。これこそ私が常々祈っていること。 彼らは本当に頑張って、頑張って神に従おうと努力している。しかし私の経験からすれば、彼らはただ、正しい道を分かっていないのだ! 神に認められる道が分からなかったので、自分の道を突き進んだ。そのせいで神が用意した道を認めることができなかったのだ。 そう!彼らの中でおきての目的がキリストであることに理解がなかったのだ。今やユダヤ人であれ外国人であれ、キリストを信じる者なら誰でも神に受け入れられる。

モーセがおきてについてこう記した。 「もし、人が非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も過ちを犯さずにいられるなら、はじめて救われる」——【レビ記18:5より引用】 しかし、これは聖書が信仰を通して神に受け入れられることについて言っている。 「こんなことは、言ってはならない!『誰が天国に上がって行けるのだろうか?』」(これは誰が天に昇り、キリストを連れてこの地上に下りてくるのかという意味) 「また、こんなことも言ってはいけない!『誰が地の深くまで下るのか』」(これは、誰がキリストを死から連れて上がるのかという意味)

「神の最高な知らせグッドニュースは、手の届くところにある。それは口先と心の中だ」——【申命記30:12-14より引用】 これが私たちの広めている最高な知らせグッドニュースだ。信じきることで救われる道だ! もし、自分の口で——「イエスは神に選ばれた王だ」——と宣言し、「神がイエスを死から復活させた」と心から信じるならば、救われるのだ! 10 そう!心の底からイエスを信じることで神が私たちを自由にしてくれる。そしてその確信をおおやけに宣言すれば、神が救ってくれるのだ。

11 聖書ではこう書いてある。 「誰でもイエスを信じる者は、決して失望させられることはない」——【イザヤ書28:16より引用】 12 誰でも・・・と記されているのは、ユダヤ人も外国人も分け隔てがないという意味だ。王は全人類の王なのだ。そして、助けを求める者なら誰でも、あふれるほどの祝福をくれるのだ! 13 「王である神の名を呼び求める者は、だれでも救われる」——【ヨエル書2:32より引用】 と聖書では言っている。

14 しかし、神を信じていないのにどうやって「助けてくれ~!」と王である神を求める事ができるのか?また、神のことを一度も聞いたことがないのにどうやって、神を信じることができるのか?誰も神のことを伝えていなければ、どうやって神について聞けるのだろうか? 15 誰もつかわされていないのに、どうやって伝えに行くことが出来るのだろうか?

そう!聖書ではこう言っている。 「おぉ~なんて素晴らしい光景なのか~!神の最高な知らせグッドニュースを伝えようと駆け回っている人の姿は・・・私はその姿を歓迎する」——【イザヤ書52:7より引用】

16 しかし、おかしなことに、誰もがその最高な知らせグッドニュースを受け入れたわけではない。だから、預言者イザヤはこう言った。 「王である神よ!私たちが伝えたことを誰が信じたというのですか?」——【イザヤ書53:1より引用】 17 信仰は最高な知らせグッドニュースを聞くことからスタートする。誰かがキリストを伝えて初めて最高な知らせグッドニュースを耳にできるのだ。

18 つまり、ユダヤ人はこれを聞いていなかったというのか?いや、もちろん聞いていた。聖書ではこう言っている。

「知らせは、全世界に広がった。
その知らせは、地の果てまで行き渡った」——【詩篇19:4より引用】

19 ってことは、イスラエルの人々はそれを理解できなかったということなのか?そうだな~!その答えは以前、神がモーセを通して語った時のことばに戻れば分かるだろう。

「わたしは、お前たちに嫉妬心ジェラシーを抱かせるために、
本当のわたしの国民ではない国民を使うのだ。
何も知らない無知の国民たちを使うことで、
お前たちを怒らせる!」——【申命記32:21より引用】

20 そしてその後、預言者イザヤも大胆にこの様に言っている。

「私を捜してもいなかった人が、私を見つけた。
私を求めていなかった人に、私は現れた」——【イザヤ書65:1より引用】

21 一方、ユダヤ人についてはこう言った。

「一日中立ちつくし、私の国民に手を差し伸べているが、
頑固な国民は、従うことを拒んだ」——【イザヤ書65:2より引用】