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過ちによって死に、神によって生きる

ということは、神からもっと、もっとたくさん恵みを注いでもらうために、これからも過ちを犯しつづけるべきだとあなた達はそう思うのか? とんでもない!以前歩んでいた自己中心的な人生は、もう終わったのだ。過ちを犯す人生はすでに死んだというのに、どうやって自己中心的に生き続けることができるのか? 覚えているか?私たちがイエスを信じる者となり、洗礼を受けた時、私たちはみなイエス・キリストの体の一部になったということを。そう!洗礼で私たちはイエスの死を共有する者となったのだ。 だからこそ、私たちが洗礼を受けた時、私たちもまたイエスと共にほうむり去られ、イエスの死に加わったということなのだ。そして、父である神の驚くべき力によってキリストを死から復活させてくれたように、私たちのこともまた死から復活させて新たな人生を歩めるようにしてくれるのだ。

もし、私たちがイエスのように死ぬことによってイエスの一部に加われるのであれば、なおさらの事、イエスが死から復活したように、私たちも死から復活することによってイエスと繋がることが出来るのである。 だから、私たちはこのことを知っている!古い生き方はイエスと共に十字架で死んだということ。それによって私たちが持っていた過ちに仕えるような奴隷の時代は終わった。 一度死んだ人は誰でも過ちの支配から解放されるということだ!

キリストと一緒に自分の過ちが死んだ・・・のであれば、私たちはキリストと一緒に復活・・すると信じている。 キリストが死から復活し、もう二度と死ぬことはないと私たちは知っている。死には、もはやキリストを支配する力がないからだ。 10 キリストが死んだ時、彼は過ちの力に永遠のとどめを刺したのだ!そして今では、彼は神の力で生きる新たな人生を送っている! 11 だからこそ、私たちも同じように自分たちの事をこう見るべきだと思っている!すなわち、過ちの力が死に、今では神の力によって生きている。それは、私たちがイエス・キリストに属している者だからだ!

12 この世であなた達が住んでいるこの体はいずれ滅びる。だからこそ、過ちに支配されて自分の欲に捕らわれた生き方をすべきではない! 13 私たちの体のどんな部分をもっても過ちを犯すための悪の道具にしてはならないのだ。しかし、一度死んでいのちを与えられた今、自分の体の全ての部分が善のために使われるよう、自分の体を神へささげなさい! 14 そう!これからは過ちがあなた達の主人となることはない。おきての束縛から解かれ、もはや掟の下ではなく神の恵みの下にいるからだ。

あなたは過ちの奴隷?それとも神の奴隷?

15 それならどうしたらいいのか?おきての下ではなく恵みの下にいるのだから、過ちを犯してやりたい放題できるってことなのか?とんでもない!絶対に違う! 16 あなた達は自分の忠誠を尽くす者の奴隷であることぐらいは分かるだろう。何であろうと、誰であろうと、自分の身を捧げる相手が自分の主人となるのだ。過ちに忠誠を尽くすか、神に忠誠を尽くすかはあなた次第。過ちに従えば永遠の死。神に従えば神からの承認を授かる! 17 あなた達も以前は過ちの奴隷だった。しかし私が本当に神へ感謝を送りたいのは、あなた達が忠誠を約束した神の教えに心から従ってきたからだ。 18 あなた達は過ちから解放され、自由の身となった。そう!今では私たちは神の素晴らしい忠実さの奴隷となったのだ! 19 私が霊的な真理を教える時、いつもこの様に奴隷の例えを使って分かりやすく説明する。あなた達はかつて、自分の体を汚らわしいことや悪だくみのために用いていた。その結果、悪のためだけに生きることとなったのだ。しかし今は神の素晴らしさの奴隷として自分の身をささげるべきだ。そうすることで、神のためだけに生きる者となれるだろう。

20 以前、あなた達が過ちの奴隷だった時、あなた達は良い行ないについて無関心だった。 21 恥を受けるべきみにくいことばかりをしたもんだ。そんなことをして人生はいくらかよくなったと思うのか?いや、そんなことはない。行きつく先は永遠の死だ。 22 しかし今は過ちから解放されて神の奴隷になれたのだ!神だけのために生きるようになり、その結果として永遠のいのちに行きつくことが出来た。 23 人が過ちを犯す時、人はその代価を死によってつぐなう。しかし神は私たちの王であるイエス・キリストをとおして無償で永遠のいのちを与えてくれるのだ!