Add parallel Print Page Options

生きた人間にのみ適用されるのがおきて

兄弟、姉妹たちよ!おきては生きている人間にのみ適応されることは知っているだろう? 要するに、このおきては結婚について書かれたルールと同じことが言える。女が結婚をすれば、相手が死ぬまで結ばれていなければならない。しかし相手が死ぬと女は結婚のおきてから解放される。 結婚相手が生きているうちに他の人と結ばれるのなら、それは立派な姦淫かんいんだとおきてにある。しかし、夫が他界すれば、その妻は結婚のおきてから自由になり、ほかの男と結婚しても有罪ではない。

兄弟、姉妹たちよ!これと同じようにあなた達がキリストと共に霊的に死んでキリストの体の一部となった時、あなた達はこのおきてから自由にされるということなのだ。そう!だからこそあなた達は今、イエスを死からよみがえらせた神の一部となっているのだ。私たち全員が神の体の一部となることで、神の働きのために私たちが用いられることが出来るのだ。 以前、私たちは自己中心的な人間の弱さに支配されていた。おきての影響で悪いことに手を出したくなったのだ。その欲望が私たちの体を完全に支配することで、私たちがもたらしたのは死のみとなった。 だから今、私たちは死んだ人として囚人しゅうじんのように私たちを拘束こうそくしたおきてから自由にされたのだ!そう!私たちは、もはや書かれたおきてに従うような古い方法で神に仕うのではない。今は聖霊ホーリースピリットと共に神に従うのだ。

おきてを使って人をだます過ち

そうすると、あなた達はこう思うだろう・・・「それじゃ、過ち・・って一緒なの?おきてって過ちなの?」と・・・もちろんそんなことはない!しかしおきては過ちが何なのかを学ぶ唯一の方法なのだ。要するに、もしおきてがなければ他人の物を欲しいと思って盗むことが悪いことであると誰も教えてくれない。掟ではこう言っている。 「他人の所有物を盗んではいけない」——【出エジプト記20:17; 申命記5:21より引用】 そして過ちはその命令を利用する方法を見つけ出した。過ちは私のものではない色んなものを欲しがらせたのだ。こうして過ちはその命令によって私に襲って来る。しかし、おきてがなければ過ちは死んで無力となる。 おきてを知らなかった時の私は無邪気だった。しかしおきてが与えられた時、過ちの扉が開かれたのだ。 10 つまり、それによって私は死に導かれたのだ。おきての持っている力は私を「いのち」に連れて行くのではなく、逆に「死」へと導いたのだ。 11 あやまちは私をだました。気付かないうちに私は死へと導かれていた。

12 だからおきては聖なるものであり、命令も聖なるものである。さらに正しくて良いものなのだ。 13 ということは良いものが私に死をもたらしたという意味だろうか?違う。過ちが良い命令を使って私に死をもたらすのだ!これは過ちが本当に最悪であることを示している。良い命令を使うことで、過ちの最も最悪な結果を生み出すことができるのだから。

おきての下の人生

14 私たちはおきてが霊的であることを知っている。だが、私は霊的に弱い。過ちは私が奴隷であるかのように私を支配している。 15 なぜ、どうして、私がこんなことをしてしまうのか私にも分からない・・・本当にしたいと思っている良いことをしないで、逆にしてはいけないこと、憎んでいる悪を行ってしまう自分がいるのだ。 16 私がしてしまうことを本当はやりたくないものだと思うのであれば、それはおきてが良いものであると同意していることになる。 17 しかし、悪いことを行っているのは、本当のところ私ではないのだ。私の内に住んでいる私ではない過ちが行なわせるのだ。 18 そう。私自身の中に良いものはない。それが私の人間的な弱さだ!正しいことをしたいのに、私はそれをしない。 19 良いことをしたい!と思っても、それをしないでしたくない悪いことをしてしまう。 20 だから、もし私が自分のしたくないことをしているのであれば、それをしているのは私ではないと言える!つまり私に住みついている過ちの力がそうさせるということだ。 21 そう!私がおきてについて学んだことはこうだ!掟が命じて良いことをしたいと思う時、悪もそこにひそんでいるということだ。 22 私の心の中では神のおきてに従うことに喜びを持っている。 23 ところが、心の奥深くに別のおきてが存在し、それが私の受け入れている良いおきてに戦いをいどむのだ。その別の掟が過ちを支配し、コントロールをすることで、私を打ち負かし、私をがんじがらめにするということだ。 24 私はなんて惨めな人なのだろう。誰が私を死に至らしめるこの体から救ってくれるのだろうか? 25 私たちの王であるイエス・キリストによって救ってくれる神に感謝する。だから、私の心の中で私は、神のおきての奴隷となっているが、人間の弱さの中では過ちの奴隷となっているのだ!